「……ふるふるフューチャー、美希の曲ですよね」
美希、の。
「あぁ、次はその曲を歌ってもらうことになる」
肯定も否定もすることなく、話を続ける。
歌詞に含まれる"ハニー"という言葉。
他のアイドルの曲にくらべて、毛色が違う。
「悪いが歌わないってことは、」
「いえ、大丈夫です。歌えます」
お互いに考えていたことは同じだっただろう。
それは、Do-Daiのときのような技量的な問題ではなくて、もっと別の何か。
たとえばそれは、
「――目が逢う瞬間」
「ん」
「あの歌も、私以外の誰かが歌うことが有り得るのでしょうか」
そんな話。
―
蒼い鳥が、今や他のアイドルにも歌われているのは知っている。
そもそもが、歌田先生から千早にのみ渡された歌、というわけではなく。
彼女が認めた歌い手に、というものらしい。その話をすると千早は、『あの方らしいですね』
と苦笑していた。
結局のところ、その人間のみに存在する歌、というものはあるのだろうか。
歌い手が存在し、聴き手が存在する。カラオケという媒体がある。
CDにはじめから、オフボーカルバージョンが挿入されていることもある。
つまり、誰かに"歌われる"という前提がある。
そう考えたとき、
―
「そりゃそうだろう」
「ですね」
歌われない歌は、さびしい。
結局のところ、その歌をまず最高だと、世に知らしめることをしているような気はする。
そうしてそれは広まっていき、歌い歌われ、名曲へと昇華するのではないか。
誰の歌か、ということはそれほど重要ではない。
誰が歌うか。そしてなによりまず、それがどれほどか――
「まぁでも、千早の目が逢う瞬間が、最高だと思うけどな」
「……ふふ、そうですね。私も、そう思っています」
認めること。
もしかしたら、千早よりも上手く歌うアイドルが現れるかもしれない。
千早よりも世間的に評価が高くなるかもしれない。ただそれでも、
千早の目が逢う瞬間は、この世に唯一の、最高の歌だ。
たとえ誰に歌われようと、これだけは揺るがない。俺と千早の矜持。
「というか、俺にとってはなんでも千早が一番になっちゃうけどな」
「はぁ……それはまぁ、うれしいですけども。あまり贔屓はよくないですからね?」
千早らしい。
「ところで、用事はこれだけじゃないと、」
「……あー……」
「?」
すごく言いにくいけど、いわないとなぁ。俺が間違いなく悪いし。
「ごめん!」
「え?」